やめてみた2021 掃除編

年明けて1ヶ月も経ってないのに退廃めいてますけども…

 

今年は思い切って「やめてみる」

生きてるうちに染み付いた習慣をふと見直すと、少し生活が捗るんじゃないかな?と最近思うんです。

昨年末、三日間かけて自室を徹底的に大掃除しました。年末ってだいたい忙しいから部屋もゴミ屋敷の状態から掃除がスタートするんですよね。脱いだままの服を整えて、要るか要らないか自分でも把握できない書類を選別してるうちに「来年はもっと心穏やかに暮らしたい、心、豊かになりてぇ…」と涙を流しました。その為に自分がやめてみたことを記録しておきます。

完璧に掃除するのをやめてみた

玄関→洗面→リビング→私室(大まか)といった順番に、休日集中して掃除する。ハンディワイパーでホコリを拭い、掃除機を掛け最後に床ワイパーで仕上げるというお作法に従って…まあできないんですよね。ここに洗濯とか皿洗いとか布団のカバーを交換するとかを挟むと、大体途中で疲弊して横になって気付いたら夕方になっている。なので自分の中の掃除ルールを一新しました。

  • 思いついた場所からやる
  • 思い立ったらやる
  • 気が済む行程までやるし、気が乗らなければ中断してもいい

で、どうなったか

  • 欲求を叶えた達成感で機嫌がいい
  • 毎日少しづつ掃除しているから汚れが溜まらなくなった
  • 結果的に去年よりも家を綺麗に維持できて脳内がすっきりしている

どうせルールなんて守れないんだから自分の脳に優しくしろ

どうも私は一度気にしだすとそれが頭から離れない性分らしく、例えば自室の本棚が整理されてないのが気になる(だけど掃除は玄関から始めることになっている)と本棚以外の掃除に全く集中ができないのです。そして妙なところで完璧主義なので、その日の掃除のスタートが躓くと、残り全部がどうでもよくなる。最悪ですね。

なので思い切って自分の欲に忠実に掃除をする方にシフトしました。ついでに休みの日にやるという固定観念も壊して、なんか床を拭きたいと感じたら歯を磨くついでにやる。逆に体調(とにかく天気に体調を左右されがち)がイマイチならスッパリと「今日はやらん!」と決める。今のところ、隅々まで綺麗じゃないけどなんとなく気分がいい程度に家の中は整っています。

部屋が片付く=目に見えるモノが減る→脳内が静かになってわりかし集中力が上がった気がします。実際散らかった部屋ではこういった文章を書く気にもなれなかったし。

 

次回はやめてみた読書編を書く予定です。今日はこの辺で。

人より1周遅れる人生

いや〜やっぱ2周近く遅れてるかも。

 

今更、アニメ鬼滅の刃を視聴しました。

3日掛けてじっくりじっくり鑑賞して、炭治郎たちが無限列車に乗り込むのを見届けた直後にAmazonでコミックスを注文するという具合でハマりました。

 

いや給付金振り込まれたしな…経済回していかなあかんしな…紙媒体で漫画買うの久々だな…

 

連載終了した今なぜこんなにのめり込んでいるか?自分でも謎です。まあアニメの出来めっちゃ良かったし仕方ない(そのおはなし構成力を活撃刀剣乱舞にも分けて欲しかったな。)

ただ言えるのは、私はいつもやることが人より1テンポずれる、どんくさい星の生き物だということです。

 

どんくさい人はまず運動が苦手です。どんくさくても機敏に動けるなら単に頭だけが悪いのでまだ活躍の余地があります。

どんなかっこいいダンスも私が動きを真似ると仲間のすばやさが2段階下降。リングフィットアドベンチャーは最初のストレッチをやる自分の姿が間抜けすぎて1日で封印。

運動、学業、情緒の発達…すべて周りより1つ遅れる人生でした。

 

その結果出来上がったのが何者にもなれない貯金もショボい垢抜けない、ないない尽くしでとりあえず罪だけは犯していないギリギリな人間。

私だってフリでもいいから何事もそつなくこなして社会に溶け込んで大衆から認識される人間になりたかっt…うーんやっぱりご祝儀要員として行きたくもない披露宴に呼ばれて、Facebookに「幸せのおすそ分けしてもらいました♡」とかタグと共に鳥肌を添えて投稿する人生って虚無じゃないですか?…ああそもそも「ちゃんとした」人は他人の幸せを純度100で喜べるんだろうなあ…。なりたかったなあ、素直な人間。

 うわっ打ってて具合悪くなってきた。最近32歳腐女子とかその友人とか我々世代の傷口ぶっ刺して直角でえぐるネタも多いのでこの話題は止めましょう。

 

やっぱり人間好きなものの話をしているほうがハリツヤ出ますね。

鬼滅の刃、アニメを見る前はネットの知識と過去の経験と実績から「絶〜〜〜っ対私無一郎くん好きだわ!」と確信していました。澄ました顔でめちゃクソ強くて顔のいい男が好きだから…

しかし蓋を開けると見事に善逸くんに落っこちました。なんとなく、黄色の髪で太眉の子がいるのは知っていたけど私のセンサーが反応しなかったので無関心だったのですがアニメを見て急激に解像度が上がりました。

べそべそ泣いてうるさいけどやるときはやるってずるい。単純にアニメにおける見せ場が多かったのもありますが(だって満月を背景にして必殺技決めるなんて贅沢すぎるでしょ)、弱い自分をなんとかしたい、ちゃんとしたい、師の期待に応えたいともがいてる16歳の姿を見て、ちゃんとしてないギリギリ人間の心が揺れないわけがない。

言うて気絶したら強いし基本的に優しいし友人や好きな子を大事にしてるからな?

偉いね善逸くん。善逸くんと何したいですか?私は自分の働いたお金で鰻(※彼の好物)を一緒に食べたいな。

 

「ごちそーさまでしたっ!いや〜ほんと美味しかったです!…いつか、禰豆子ちゃんが太陽の下を歩けるようになったら、今度は俺が…あ!禰豆子ちゃんていうのは、へへ…」

語気が少しづつ弱くなるのと一緒に、俯いた彼の頬が朱に染まるのを私は見逃さなかった。彼のように音で人の心の機微なんて読めないけど、こんなに幸せで、だけど物寂しさを抱えた表情するなんて。さすがにわかるよ。「ネズコちゃん」。その子がきっと、彼のーー

 

以上、夢小説のコーナーでした。

 

昨日、行動力の化身である友人が気を利かせてうたプリのLIVE DVDを貸してくれました。授業参観を見守る母の気持ちで鑑賞しています。翔ちゃんがんばれ。

初めて一人で刀ミュ観に行った Road to 9.19

皆さんには実生活で腰を抜かした経験はあるだろうか。

 

遡ること4ヶ月前、私は生まれて初めて腰を抜かし椅子ごとひっくり返った。

ミュージカル刀剣乱舞 秋の新作公演の当落発表、どうせ当たらんだろと乾いた笑いを飛ばしつつもF5を押す手を止められない。やっとこさ入れた当落結果のページに一つだけはっきりと見えた「当選」の文字。

行くのか、憧れの刀ミュに、しかも一人で。ちなみにこの直後動揺のあまりコーヒーメーカーを落として割るという失態も犯した。

 

昨年の冬から急に刀剣乱舞にハマった私は2.5次元に精通した友人から手ほどきを受けるうちに、「いつか刀剣乱舞のミュージカルに行ってみたいなあ」とぼんやり考えていた。そんなタイミングで発表されたのが今回の公演、葵咲本紀である。

生来強い願望や目標を持つことなく、汗と努力から遠ざかって生きてきた私にとって、何かに向かって計画立てて準備をするというのは今の夫と結婚するために両親と話をつける以来の大イベントであった。

新作公演が発表されるやいなや、チケットの取り方を調べ、ミュージカル公式の会員登録をスマートに終える。なぜ普段の生活でこの機動を生かせないのか。

当選したことをTwitterで報告するとてっきり自慢すんなと怒られると思っていたが、良識あるフォロワーからは暖かい言葉とともに現場参戦の心得を教示頂いた。

優しいフォロワーのためにも悔いのない観劇をしたい、謎の使命感が私を突き動かし

た。公演当日までに私が勝手に私に課したミッションは以下の通りである。

  • 体調管理をしろ!
  • 体を鍛えて体力つけろ!
  • 応援うちわを作れ!

うちわを作る以外は人として最低ラインに近い行為である。とにかく体調不良で観に行けなくなることは避けたかった。思いつくのは早寝早起きだが、いらんことで腹を下したくなかったので公演3日前から肉に気持ち多めに火を通し、生魚を避けた。気持ちだけはいっちょまえに大会前のアスリートさながらである。おかげさまで風邪ひとつ引くことはなかった。

 

また、舞台で最高のパフォーマンスを見せてくれる演者の方々に対して、だらしない肉体で応援するのは失礼だろうと急に思い立ち、公演2週間ほど前からフィットボクシングを始めた。流石に体型はさほど変化していないが、定期的な運動は根暗人間を少しずつ上向きにさせてくれる。ほっそい自転車で爆走してジム通いしてるスカしたサラリーマンに対する嫌悪感が少し減った。おそらく来年の始めには腹筋は12個に割れ、片手で柿を握りつぶせるくらいたくましくなっているであろう。

 

応援うちわを作る、これが最難関であると同時に楽しかった。漫画家になりたいなんて昔は思っていたけれど早々に自分の才能に限界を感じた自分の手元には、絵を描く道具などない。以前の私なら「無理、やめとこw」とリタイアするが今回は諦めたくなかった。色画用紙を切り貼りし出来たうちわはお粗末なものだったけれど不思議と達成感があったし、次はもっと綺麗に作れそうという自信すら生まれた。

 

そうして約4ヶ月間、刀ミュのことを思い出したり忘れたりしているうちにいよいよ本番の日がやってきた。電車を乗り継いで初めてやってきた会場。自分が舞台に立つわけでもないのになんで緊張してんだ。頭が整理できないまま開演の時がやってきた。

 

「ホントにとーけんらん!つーよーくつーよくー!」て唄うんだ…

 

お前は何を観にきたんだ。しかしこの半年以上もの間家のテレビでしか見たことのなかった世界が割と目の前で再現されている。正直この刀ミュのメインテーマが流れたら感極まって泣いちゃうかもなんて思っていたが感動より先に興奮がきた。私の本丸で毎日玉やら貝やら集めてたあの人たちが私と同じ次元に来てくれてると思うと全身の毛が逆立つような気持ちになった。ああこれが念願の刀ミュだ。これ以上は話のネタバレに触ってしまうのでもう言う事がない。

小休憩を済ませ2部が始まってからがもう大変。人生で一番早く過ぎた40分であった。刀剣男士たちが我々のもとへと降りて来てからがもう大変である。視力はもういいから目をあと10個くれと切実に思った。己の視線と他の客のどよめき、どちらをとるべきか初心者の私にはとても難しい選択を毎秒ごと迫られていた。

私のそばの通路にも何人かが通り過ぎ、その顔のあまりの美しさに若干引いた。明石国行(えろう誇張した関西弁使わはる太刀、やる気がない)なんかもう彫刻だった。

私が応援する篭手切江くん(すていじに立つことを夢見る脇差、とてもかわいい)はそばにこそ来なかったものの、2階席から自分色のペンライトに向かって眩しい笑顔を振りまいてくれた。先日戯れに夢100を始め、絶賛感化されている私にとってその姿は誰よりも王子であったし、対する私は「もっとその笑顔を見せてくれ」という欲望丸出しの妙な笑顔を作っていたであろう。劇場が暗いことが唯一の救いである。

ちなみに私の夢100の推しは真珠の涙を流す残念美人ペルラくんだ。

そして想定外に刺さったのが鶴丸国永(驚きを愛する太刀、白い)。想像より遥かに鶴丸国永、生で見るとその堂々と歌う姿に驚かされる。彼の思うツボである。

 

そうして全公演が終了し立ち上がろうとした時、小さな事件が起こった。

立ち上がれない。頭の命令に対し足腰が(応答なし)、腰を抜かしたのである。

初めて刀ミュを見たから?座席が舞台に近かったから?篭手切江くんの笑顔が可愛かったから?まあ全部だろう。他よりワンテンポ遅れて立ち上がり、よろけながら歩き気づいたら喫茶店でケーキを貪っていた。

 

「大好きな刀剣乱舞のミュージカルを観たら感動して泣いちゃうかもね」なんてヘラヘラ考えていた数日前の自分、実際はそんな可愛くも美しくもない「腰を抜かす」結果であった。だが今日のことは確実に自分にとって感動フォルダに保存されるし、一生忘れたくない思い出になった。次の公演までにはもっと肉体が鍛えられている予定なのでおそらく腰は抜かさないであろう。

 

今日はとても夜風が冷たかった。やきもきと過ごした私の夏が終わり、歌合に向けて新しい季節が始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台 遙かなる時空の中で3を観たら人生の答え合わせができた話

私と遙か3の話はこの記事後半でも説明しているので興味のある人はどうぞ。

kunomochiblog.hatenablog.com

「12月に遙か3の舞台あるんだけど観に行かない?」

8月に友人から持ちかけられた時は正直「うわっ、ついに来たか」と思った。12年前にハマり、その後の二次元の男の好みを決定してしまったコンテンツが2.5の餌食になってしまったとさえ嘆いた。その頃の私はどうにも2.5次元という文化に否定的だった。保守的なオタクは好きなキャラクターが少しでも原作からズレることに敏感である。見た目が違う、声が違う、解釈が違う…自分の中で勝手に膨らませたコレジャナイ感を突きつけられることを私はとても恐れていた。だがしかし、「一回くらい舞台観るのも社会勉強になるかも」という好奇心もあり、最終的にはまあええかと二つ返事で友人にチケットを取ってもらった。

それから約四ヶ月間、舞台に行くことを時々思い出しては忘れを繰り返して過ごすうちにだんだんと本番当日まで暦は進んだ。

この間、私は今更ながら刀剣乱舞にハマり、それを嗅ぎつけた友人からミュージカルのDVDの入った小包が届いたので「社会勉強」と言い聞かせ鑑賞した。視聴10分でスペースキャットの顔になった。私の本丸で私が大事にしてきた加州清光が全く知らん女達に愛想を振りまいていると憤慨さえした。しかしそれは間違いである。あくまで「とある本丸」の加州清光が平成の世に遠征して我々にファンサービスをしているのだ。なんてサービス精神旺盛な本丸だこと。気付いたら私も赤いペンライトを振る動きをしていた。そんな感じで初めての舞台鑑賞まで、少しずつ2.5耐性をつけていったのである。

12月某日、いよいよその日が来た。

「私今日弁慶さんに会ってくるから」と別に言わんでもいいことを夫に告げ、いつもより気合いを入れて化粧をした。カワイイ女でありたいなどというチャラついた心は捨て、さながら戦場に赴く武士の面構えで電車に乗った。

友人と合流し、昼食をとり会場へと足を運ぶ。席に着いた瞬間私と友人は息を呑んだ。友人の日頃の善行と豪運のおかげで我々は前列2番目という超良席を獲得したのである。友人もこんなに舞台に近い席は初めてらしくソワソワしていた。それほどまでに良い席を初めての観劇で味わってしまうなんて贅沢すぎやしないか?つられてモゾモゾしているうちにいよいよ開演の時がきた。

なんで目って二つしかないんだろ?人体の構造を恨むくらいに近い距離で役者さん達は目まぐるしく動いていた。主人公・望美役の吉川友さんのキラキラした大きな瞳が印象的だった。そして私がずっと推してきた武蔵坊弁慶を演じる石渡真修さん。彼は常に冷静に時に厳しく仲間を諌め、自らも薙刀をふるって闘う。優しく人当たりがいいけどどこか影を背負っている。田舎の冴えない女子高生だった私の心を射抜いた男が私と同じ次元に立っている。それを確信した時、私はふと昔のことを思い出した。

「面白いゲームがあるんだけどウチ来てやらない?」と完全に怪しいパーティーに誘う不良のやり口で友人を遙かの世界に引き摺り込んだこと。日本史の資料集の源平合戦のところだけ穴があくほど読んだこと。「あなたは〇〇〇〇人目の眠り姫…†」のカウンター付きのサイトを何件も漁ったこと。普段は黒歴史などと自虐するけどそれでも全部私を形作ってきたのだ。そして遙か3というゲームの衝撃的な1周目の終わりのこと…。

舞台の第一幕が終わった時、泣いているお客さんが何人かいた。みんなあの1周目を思い出している。ここには沢山の白龍の神子がいる。そう思うとなんだか嬉しくなった。

そして第二幕、強くなったどころか5周くらいしてきただろと思うくらいたくましくなった望美。火花が散っていてもおかしくない程の白熱した戦闘シーン。ゲームでは見えなかった部分が舞台で繰り広げられていた。開演当初は「みんな顔がいいなあ〜」「なんかいい匂いする〜」とまだ余裕があったけれど、いつの間にか手に汗握りながら鑑賞する自分がいた。

あっという間だった。気がついたら終演の挨拶が始まっていた。「弁慶さんが帰ってしまう!」と焦った私は無意識にずっと彼の方を向いていた。

これは舞台あるあるというか現場あるあるなんだろうが、一瞬だけ弁慶さんと目があった気がした。画面越しに何度も優しい視線を向けてくれたけれど、その人が今同じ次元に立ってこっちを向いた。何言ってんだこいつと思われてもいいくらいに嬉しい。

同時に、遙か3を知ったあの日のこと、友人と二人で叫んだり嘆いたりしながらプレイしたこと。別に一途に弁慶さんを推していたわけじゃない。歳をとるごとにハマるジャンルが変わり推しも増えた。そこらへんにいる雑食のオタクだけど、大人になった今こんなに近い距離で動く弁慶さんに会えた。人生辞めたいなんて散々言ったけれど、投げ出さないでよかったと本当に思った。

我々の人生に逆鱗(※作中のキーアイテム、過去に時空跳躍できる)はない。ないからこそこうして時々嬉しかった思い出を噛み締めて「人生悪くないかも」と途中途中で答え合わせをしていくのがうまい生き方なんじゃないかな…と帰り道ふと思った。

理想の大人になれなかったし、今だって毎日失敗だらけの人生だけど、あの舞台で生きている推しを見られたというたった一つが最近の生きる原動力となっている。

 

 

心気症近況

酷暑もいつの間にか過ぎ、心地よい秋の風を感じるようになってきましたね。

私の住む近畿地方は、未だ先日の大きな台風の爪痕が残ったままですが、それでも毎日をなんとか生き抜いております。また、6日の北海道胆振東部地震の被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

さて、私の心気症や医療体験について綴っているこのブログですが、嬉しいことに予想以上に多くの方の目に留まり、時に応援の声も頂きとても嬉しく感じております。

 

今年の夏は本当に体の不調に振り回されるばかりでした。原因のわからない膀胱炎に始まり、これまた原因不明の腹痛。時に便秘だったり下剤のコントロールがうまくできないせいでお腹を下したり。私はこれらを、間質性膀胱炎だの大腸がんだの色々疑い、ネットで調べては時間を無駄にし、心と身体を疲弊させてばかりでした。

結果的には膀胱炎はカンジダ膣炎由来で、腹痛や便秘はストレスということで、然るべき対応をとり、今は不快な症状も落ち着いております。

(※カンジダに関しては特に男性の方にも理解して頂きたいのですが、もともと人体に棲む常在菌が蒸れやストレスで増殖するものなので、決して性病ではございません。)

 

また、心気症と向き合いたいという気持ちから、7月末よりやっと勇気を出して心療内科の門を叩きました。低容量の安定剤と医師との面談、それからこれは自分で勝手にやっているのですが、その日あった事を箇条書きに手帳に書いています。もし今後も何か不安になったら、手帳を見て自分の行動を振り返るとなんとなく良い気がしたからです。このブログも「心気症の自分」を客観的に書くといういわば認知行動療法的一面があるのかもしれません。

 

とはいえ、まだまだ皆さんにお伝えしたいバカな経験談のストックは山ほどあります。書く事で頭の中を整理できるし、心気症でも毎日泣いたり笑ったりして他の人と同じように生活しているのをお伝えしたいのです。同様に、これを読む皆さんにも様々な事情があるかと思います。しかし、病気だろうが借金苦だろうがパートナーにDVされていようが、心臓が止まらない限り等しく明日はやってくるのだなあとボンヤリ思うくらい現在の精神状態は安定しております。

 

次回は心気症のお話を一休みして、今私がどうしても勝手に喋りたいとあるコンテンツについて垂れ流していく予定です。

 

 

 

 

心気症、胃内視鏡検査を受ける

※検査を受けるに至った経緯は下記を斜め読みされたし。

 

kunomochiblog.hatenablog.com

 

というわけでいてもたってもいられなくなった私は早速消化器内科の門を叩いた。

【〇〇区 胃カメラ】で検索し近所にある綺麗なクリニックを見つけた。これこそが正しいインターネットの使い方である。

 

白を基調とした清潔な待合室で「今日が私のXデーなんだ」という緊張と諦観を湛えた表情で順番を待つ。大型TVから流れるワイドショーも観る気にならず、雑誌にも手をつけず、ただただ呼ばれるのを待った。 

 

30分ほど待ち、診察室に入った。緊張のせいで医師の顔はよく見ていなかったのだが、声がとにかく大友康平にそっくりのハスキーな人物であった。軽い問診の最後にハウンドドクターはこう聞いた。「今日、朝ごはん食べてきた?」

私の心の中の夜神月がニヤついた。計画通りである。私はできるだけ早く精密な検査を受けたかったので朝食を抜いてきたのだ。普段愚鈍な癖にこういうことに限って頭が回る。しかし計画が成功した喜びなど噯気にも出さず、「食べてないですけど、今日胃カメラできるんですか?」と素人っぽく尋ねる。(素人なんだが)

医師曰く、少し待てば午前中に胃カメラができるそうだ。胃カメラ未経験の私は、「こんな大掛かりな検査を迅速にしてくれるなんて、お医者さんは本当に大変だなあ」と、これからの検査に対する不安と医師に対する尊敬が混ざった気持ちで検査を待った。

 

再び待ったのち、今度は検査室に呼ばれた。早速ベッドに寝かされた。なにやら術前の麻酔をするそうだ。

読者の皆さんには本当に申し訳ないのだが、この過程に関してはどんな麻酔をされたかなどをよく覚えておらず、ざっくり書くことしかできない。なんだか喉に何かを塗られ、鼻にストローのような何かを突っ込まれたのである。

 

そしていよいよハウンドドクターが胃カメラをぶら下げやってきた。長い管の先っちょがテーマパークで売っているLED製の玩具みたいにキラキラ光っていた。よーしお前が私の胃の中に入ってくるんだな?かかってこいよ!強がっていられるのは最初の3秒だけであった。

胃カメラが鼻から侵入し喉を通過した途端盛大に唾液を吐いた。「痛いねー、ちょっと我慢だよー」できねーよもう無理。しかし大友康平は容赦無く胃カメラを突っ込んでくる。お前そんなんやからメンバーに愛想尽かされるんやぞ。

やがてカメラが私の胃に辿り着き、悪いところはないか必死で探し回る。

これだけは今でもよく覚えているのだが、「胃をマドラーで掻き混ぜられている」まさにこの喩えがぴったりの不快感だ。

モニターに私の胃の中が映し出される。「うーん少しだけ胃が荒れてるねー。軽い胃炎だよ。大丈夫!がんとかじゃないよ!」ふーんそう良かった!じゃあ早くこの管を取ってくれ!医師の優しい言葉にも答えられないくらい私は苦しんでいた。

検査の間、美人な看護師さんがずっと「大丈夫だよ、もう少しだよ」と手を握ってくれていた。25も過ぎてヨダレと鼻水まみれでオエオエ言う女を蔑ろにせず、優しく付き添ってくれていたあの人にまともにお礼も言えず、服の肩まで唾液で濡れた私はフラフラな足取りで検査室を出た。

 

というわけで私は胃炎の診断を受け、その後三ヶ月ほどの服薬で無事元気な胃を取り戻すことができた。ちなみにピロリ菌検査も陰性だった。

 

今、胃の調子が悪い人や胃カメラを受けようと考えている人にこれだけは伝えたい。ビビリな人はぜひ、「鎮静剤を使って検査が受けられる病院」を探すこと。

実は、私が行ったところでも希望があれば鎮静剤を投与してもらえるようで、実際に「はい今から鎮静剤入れますねー」と言われていた人が5分後にイビキをかいていたのが聞こえた(覗いた訳じゃないので詳細不明だが)。先生私も鎮静剤打って欲しかったんですけど〜。

また、「鼻から胃カメラは喉からよりずっとラク」の説が各地で散見されるが、鼻からでも充分痛い。「無痛分娩は自然分娩よりラク」説くらいの話半分で聞いておいた方がいい。どうしても鼻の穴が狭い人などは強制的に喉から入れることになるようだが、大抵のところでは経鼻胃カメラだと思うのでそちらに越したことはないが。

 

最後に、夏から秋にかけては1年で最も胃の調子を崩しやすい時期である。皆さんも冷たいものの飲み過ぎ、暴飲暴食はくれぐれも避けていただきたい。

暴走した食欲の行き着く先は胃をマドラーで掻き混ぜられることである。

 

心気症、胃をぶっ壊す

3年前の秋、とても胃の調子が悪かった。少し食べただけでお腹がいっぱいになるし、空腹・満腹問わず胃が痛重かった。

始めは、「きっと夏の疲れを引きずっているんだろう」「どうすれば治るかな〜」と軽い気持ちでGoogle検索をした。【胃痛 原因】

 

もし、しかる●こが心気症経験者なら眉を顰めてここで言うだろう「ググるのだけはやめなさーい!」

 

製薬会社やどこかの消化器内科のHPでは、胃炎だとか十二指腸潰瘍とか、素人でもなんとなく知っている胃腸疾患の説明がなされている。そしてだいたいページの一番下に、めちゃめちゃ大事なあの病気の名が鎮座している。

『スキルス胃がん

書いていてすでに怖いから端折るが、通常大半の胃がんは50歳以上の人に多いのだが、このスキルス胃がんと言うやつは比較的若年層、しかも女性にやや多いという。

若い女性であるところの私は、一気に血の気が引いた。ここ一ヶ月の胃の不調、ガスターを飲んでも良くならない不快感そして膨満感。私スキルスかもしんない。

その晩、私はベッドに潜って【20代 スキルス】【スキルス 初期症状】などと微妙にキーワードを組み替えては検索しまくった。

 

もう心気症のし●るねこはブチギレるであろう「今すぐスマホの電源を切りなさーい!」しかるね●、そのままスマホを窓から捨てても良かったんだぞ。

 

世間には、闘病ブログなるものがある。故・小林麻央氏も綴っていたことは皆さんもご存知であろう。自分の生きた証を残したい、病に負けたくないという一心で執筆していたことと思う。しかし、我々心気症患者と闘病ブログは非常に相性が悪い。

喩えるなら、ハチマキを持たないエレキブルが初手ガブリアス地震をくらうのと同等である。(※私のポケモン対戦の知識はXYあたりで止まっている)

私が見て(しまって)きたブログにも、「始めは軽い胃もたれだった」、「若いから大丈夫!と精密検査しなかった」患者さんがいた。そして病気発覚から数年後の最新記事の多くが『皆様へ』なのである。これ以上はもう語るまい。

念のため言っておくが、私は闘病ブログを批判しているのではない。書く自由があると同時に、見ない自由もあるからだ。

 

次回は、私が胃内視鏡検査を受けた話を書こうと思う。なにせ3年前のあの日はまさかこんなことブログに書くなんて考えてなかったから、今必死に当時を思い出しているのである。